馬絹の紹介・名所

北部と南部に多摩丘陵の高地が延び、その中央低地を矢上川が東西に流れる地区に馬絹(まぎぬ)はあります。

 

江戸時代からつづく馬絹村は、明治22年(1889)に、土橋・有馬・野川・梶ヶ谷などの各村と合併し「宮前村」になりました。

昭和13年(1938)には川崎市に合併。昭和47年(1972)には川崎市の政令指定都市移行に伴い「高津区」に編入されました。

そして、人口増加のため、昭和57年(1982)に「宮前区」に分区されました。

馬絹には古墳があります。県の史跡に指定される「馬絹古墳」は、7世紀後半に築造されたと推測されています。

「皇国他誌」によれば、室町時代末期の永禄年間に、稲毛庄馬衣郷を分割して「馬絹」「梶ヶ谷」「土橋」の3村となり、以降「馬絹村」と称することになったと記されています。

 

馬絹地区での花作りの歴史は古く、江戸時代中期からはじまったといわれています。「馬絹の花桃」は、かながわ名産100選に選ばれています。

馬絹の名所

馬絹は歴史ある町ですので、古墳をはじめとした名所がたくさんあります。

馬絹名所マップ

…平台地区   …三ツ又地区   …矢中地区   …宮本地区

【A】川崎市立宮崎小学校

川崎市宮前区馬絹1795番地

宮崎小学校には馬絹、小台、有馬、東有馬の子どもたちが通学しています。

児童数1,100名以上で創立は明治6年6月15日 (平成27年で142周年) の歴史ある小学校です。馬絹町内の住民には同校の卒業生もたくさんいます。

多摩丘陵に位置する校舎からは、毎日元気な子どもたちの声が聞こえます。馬絹町内会では入学式・卒業式・運動会といった学校行事への参加、

子どもたちの教育や安全に関する会合に出席、学校関係者と話し合いをしています。また、PTAと合同で行う横断歩道での旗振り活動や正門付近の花壇の花植えに民生委員が協力しています。

地域に開かれた学校として宮崎小学校と馬絹町内会のつながりも歴史あるものとなっています。

【B】馬絹神社 御祭神 伊邪那美命(いざなみのみこと)

川崎市宮前区馬絹986番地

馬絹神社は、古来、武蔵国橘郡馬絹(現在地)に女体神社として尊崇されてきた名社ですが、時代の変遷とともに近隣の四社を併合し、

社号改称等を経て、一大神社となり、今日に至っています。分宮の八幡神社・白山神社とともに永年、土地の氏神として親しまれ、開運招福、家内安全、縁結び、安産、厄除、五穀豊穣の神様として篤く信仰されています。

馬絹神社の例大祭は毎年10月15日に催される盛大な秋祭りです。大神輿が地域内を渡御し、境内は奉納演芸や多くの露天商、人びとで賑わいます。

川崎市宮前区馬絹994-10

【C】馬絹古墳

馬絹神社の隣接地に馬絹古墳があります。年代は古墳時代後期とされ、面積は1,044平方メートルです。昭和46年に神奈川県の史跡に指定され、現在は史跡公園となっています。

馬絹古墳につきましては川崎市教育委員会のWebサイトに詳しい記載がありますので、そちらをご参照ください。

川崎市宮前区馬絹1719番地

【D】泉福寺

天台宗の寺院。”泉福寺薬師会図”と”泉福寺境内相撲図”の二面の板面着色絵馬が秘蔵されています。この二面とも川崎市重要歴史記念物に指定されています。泉福寺薬師会図は墨書銘によって江戸時代末の嘉永7年(1854)製作と判明、泉福寺境内の大銀杏と薬師如来像のほか多くの参拝者で賑わっている様子が、二面の泉福寺境内相撲図は江戸時代末の安政4年(1857)製作で、泉福寺境内で行われた奉納相撲が描かれています。絵馬に描かれている大銀杏(樹齢800年超)は現在も残っています。三佛堂内には、正面中央に薬師如来、左に聖観世音菩薩、右に千手観世音菩薩が鎮座しておられ、聖観世音菩薩は稲毛観音霊場の第26番札所、千手観世音菩薩は第25番札所となっています。

【E】宮前地区会館

川崎市宮前区馬絹1596

宮前区障害者福祉拠点施設と宮前地区会館が合築した「まじわーる宮前」が馬絹交差点横に2015年12月に完成しました。1階の地区会館には会議室や和室、多目的室などがあり、近隣6町会(馬絹、小台、大塚、梶ヶ谷金山、花の台、宮崎)の各地に在住する住民、団体が市民相互の交流や文化教養の向上を目的にした市民活動などに利用できます。

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